天下一相撲大会
通称:天下ブフ。各地に広まっている角力界から有志を募り、その力と技を競う大会。始まりは不明であるが一般知られるのは13世紀モンゴルにおいてチンギス・ハーンによる大連覇からであろう。世界の半分の部族が参加したと言われる大会にて怒涛の快進撃。勝ったと思った次の瞬間隣の土俵で相撲をとっていたなどの逸話が残るほど速度から「蒼い狼」と呼ばれ、人狼・キバ民族の英雄として世界にその名を知らしめた。
以降、モンゴル帝国の覇道は続き「角力=ブフ」が定着していく。
だがこの時日本は参加しておらず、チンギス・ハーンの孫であるフビライ・ハーンが海を越えて挑んできたがそれを撃退した。
なお、チャンコはチンギス・ハーンの発明とする説が有力であり、特に子羊の肉を使った鍋は「ラムちゃんこ」と呼ばれ様々な異民族をも魅了した。

日本において角力は神事であり武道であり神話の時代より受け継がれた文明でもある。
元寇より数百年。ひとりの男が天下一相撲大会を開こうとしていた。尾張藩藩主織田信長その人である。
無類の相撲好きと知られる信長は部下に鉄砲の稽古を推奨し、自ら「天下ブフ」を宣言。初の日本開催を目指すが夢半ばに倒れるは歴史の通りである。
このことにより開国するまで大相撲という独自の文化を築くことになる。

西洋ではパンクラチオンから派生した角力文化を築いていく。コロッセオが土俵に相当するわけだがこのあたりに「逃げるのを負けとする」文化の差異が見られる。
有名な力士といえばアレクサンダー大王が挙げられる。「角がある人」の名に恥じぬ強者であり、モンゴル帝国には及ばないものの幾多の国を征服しており32歳の若さで暗殺されていなければ角力の歴史に大きな名を残していたであろう。横綱昇進を断った「ゴルディアスの結び目」の逸話は有名である。

日本で力士が侍の身分を与えられてのと同様、西洋では理騎士(フォースナイト)の名誉が与えられるのが習わしとなっている。